======= もくじ =======
大片付けに際して参考にした片付け本その1。
というかじつは、この本の存在が大片付けをはじめる決定打になりました。
片付けのできる人が、できない人を手伝った実録本
私のバイブルのひとつ、池田暁子さんの「片づけられない女のための こんどこそ! 片づける技術」は、
片付けのできない人ができないなりにどうにか片付けができるようになるまで
の実録
でした。
この本は、
片づけのできる人が片づけられない人の片付けを手伝った
実録です。
作者のなぎまゆさんは、片づけられる人ですが、もとは片づけられない人だったとか。
だから、片づけられない人がどうして片づけられないか、が、わかるんですよね。
だから、片づけられない人でも片づけられるように、「片づけ方を変える(カスタマイズする)」。
じつはこれ、案外片付け本には出てこない視点です。
片付けの基本は、
- いらないもの使わないもの使えないものを全部捨てて
- 残った必要なもの使うもの全部に収納場所を割り当てる
これです。
これは、ほとんどの片付け本に共通している、おそらくは片付けの真理というか極意というか、です。
だいたいどなたもご自分の片付け理論があって、こうすると片付きますよ、こういう部分はこうしましょう、と書かれていて、それはそれでもちろん有益ですし、言うなれば基本的に片付け本は総論なので、こういう人はこうしましょう、という、イレギュラーなケース1つ1つに対応はしてられないんですよね。
でも。
どうやっても、それって目線の位置は上からになります。
ここがこうできないんだよね、だったらこうしようよ、という、できない側の視点に立って、各論を教えてくれる本は、少なくとも私が今まで読んだ片づけ本の中にはなかったです。
こんまりさんの本はとても役に立ちます。今でも第一のバイブルです。
でも、彼女の「あらゆるものは立てて収納しましょう」、これは私にはできませんでした。
いちいち立てられる状態にたたむとあらゆるものがぎちぎちに小さくなっちゃって、すごく見づらい。
それから、「どんな服にも絶対にぴたっとはまる、四角くなって立つたたみかたがある」も、どうしてもできませんでした。何回たたんでも私のTシャツは立たない(・x・)
一度も成功したことはありませんが、よしんば一度奇跡的に成功できたとしても、「私が」すべての服を毎回必ず、そうやって立つ状態にたためるとは、とても思えません。それこそ手元に定規とかおいて、全部の服を何センチで、とかはかってたたむとかでない限り。でもって、そんなクソめんどくさいこと私がやるはずがありません。
こんまりさんの収納はこれがポイントではあるんですが、できないと私みたいな人間はけっこう劣等感に襲われます。
「できる人」の列から切り捨てられた気がするんですよね。
たためなかったんですけど。どうすりゃいいんですか(・x・)私一生片付け祭り終わらせられなくて収納できないままですか(・x・)みたいな気持ちになってくるんです(笑)。
一方、なぎまゆさんのこの本ではそういうことはありません。
たとえば、今まで服をバスケット的なものにつっこんで積み上げていた(文中ではツボラー)人に、ぴしっとたたんでグラデーションに並べた、立てる収納とか、なぎまゆさんは勧めません。
服を「たたむ」を本人にやってみてもらって、そのたたみ方でたたんでここへ入れる、という場所を確保する。
引き出し収納に抵抗のある人には、紙袋で仮に作ったバスケットに分類ごとに服を入れて棚に並べて、いわば半引き出しとして引っ張り出して中身を出す方法を試すことを提案してみたり。
もちろんこれは、その片付けられない当人とその部屋の設備をある程度知っていてはじめてできる提案で、言うなればオーダーメイドです。ほかの部屋で同じようにできるかといったらそれはわからない。
でも、そこにはヒントがある。応用の実例があるんです。
しかも、片付けをした本人の部屋限定じゃなく、片付けを手伝う人が、別々の部屋でそれぞれ住人に合わせて提案をしてる。
私はASD傾向のせいで、なんでもとにかく言葉どおりに受け取ります。
つまり、とかく応用力が低いんですが、片付けてる本人視点じゃなく、少しだけ冷静な、片付けを手伝って提案をする側の視点で書かれてると、こっちも少しだけ視野が広くなるのか、
あの部屋では、あの人はこんな工夫をしてた。こっちの部屋ではこうだった。
だったら、この部屋ではこうできるんじゃないか。
という考え方がしやすかったです。
最後のひと押しをくれた本
そして、冒頭にちょこっと書いたんですが、この本は今回の片付けにとりかかることを決める、決め手になった本でした。
私はいまだに経済状態がかなりぎりぎりなので、本はあまり買いません。
実際、今回の片付けで本を全部出しして、最近ハイキューは全巻そろえましたけどw それ以外ほんとに本増やしてないなあ、と苦笑したくらいです。
図書館にあるものは多少待っても図書館で借ります。
言ってはなんですが、とくにコミックエッセイは、1回読んだらそれで終わりになることも多いので、図書館にあれば借りることが多いです。
多いんですが。
テレビを買い替えて、もともと低くはなかった部屋のカオス度がめちゃくちゃはね上がって。
なんとかしなくちゃなあこれ、どうしよ、と思ってた時。
どこで目にしたのか忘れましたがこの本が出たことを知りました。
じつは私この本の前半である、Aさんの部屋の片付けはもともとツイッタに流されたもので。
冒頭がRTで回ってきて、同人やさんがやっぱり腐女子のお友達の部屋を片付けたということでやはり親近感もあって、ご本人のホームへいって当時アップされていたものを全部読んでました。
だから本のCMを見た時に思ったのは、「あー。あれ本になったんだー」でした。
とりあえず内容を確認してみると、どうやらあのあとさらに別のお友達の部屋の片付けも手伝って、その話を合わせて1冊にしたもよう。
2人めのお友達Nさんの部屋の片付けも、1本めの反響からあめばに声をかけられて開設したブログで、何本かは「これは本に載せたので削除しました」となってましたがおおよそのところは読めました。
つまり、本を買っても読んだことのない部分はほぼないわけです。
図書館にもいちおう入ってましたが、けっこう予約が入ってます。
ふと、周りを見回しました。
ゴミだらけの汚部屋ではないにせよ、いろんなものが乱雑に堆積した、きれいだとか片付いてるとか、そういう形容詞を使えたことがこの半世紀1度もないに等しい、自分の部屋。
それでも、どうしても32インチテレビを入れたくて、強引に入れた結果、ディザスターがさらにひどくなってます。
・・・・片付け、やるか。
そう思って、この本をぽちりました。
すごく感覚的にやったことなんですが、おそらく。
この本が決して悪い内容じゃないことはわかってる。
けど、内容はほとんど全部すでに読んでいる。
だから、お金を払うことで得られる情報じたいはほぼないといっていい。
最近の私であれば買わない(=お金を出さない)ものです。
でも、それを購入することによって、私はお金を出してでもこの部屋を片付けたいと思っている、という決意を自分に示すことができる。
本当に金額としてはささやかなんですけれど。
たまたま本を見つけて何となく買ってあるいは借りて読んでみて、あー、これ私でもできるかも、とか、たんに自分もやりたい気になったりして、そうやって何度も片付けをはじめてきました。
そしてことごとく、終わらないままなし崩しに終了してしまいました。
片付けをしよう、と決めて、そのためにまず、お金を出して、テキストを買う。
そのテキストを読んで、片付けをはじめる。
この形式をとったことも、今回最後まで片付けができた要因のひとつかなと思います。
お世話になりました(おじぎ)