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「左の人」期の終わり

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======= もくじ =======

「幼年期の終わり」のパロディっぽいサムネ画像にしようと思ったらじつはクラーク読んだことなくて持ってなかった(・x・)画像検索したらけっこういろんなバリエーションあるんですね。

左の人の基本知識はこちらからどうぞ↓

彼は神か
職場に、ネガティブな意味で、とても気になる人がいます。
その人のことを、私は左の人と呼んでます。
その左の人は、どうやら神のようです。
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ウザさうなぎのぼり

10月に入って職場で席替えがありました。

今までオペさんたちを配置してたシマをひとつ減らして、別のプロジェクトで使う準備にあけておくことになったんだそうです。

つまり、そのシマに割り振ってた人数ぶんを、残りのシマに詰め込まないといけない。

左の人(と私と同業務さん)が配置されてる、職場の一番はしっこのシマは、10この机で構成されているんですが配置されてるのは彼と私たちと、あと彼と反対側の対角線のはしっこに二人。

なぜかというと、左の人が声がでかくてみんな近くの席をいやがるからだそうです。

でも、席が減っちゃったんでそうも言ってられなくなってしまったようです。

この席替えで、左の人の反対側の席5つが埋まりました。

真正面に配置されたのは最近契約社員で戻ってきたらしい、以前センターにいた「あ、オレ昔ヤンチャしてましたんで」タイプの男の子で、口がうまくて調子もよくてしかも成績がいい。もう見るからに水と油っていうか左の人が大嫌いなタイプw 男の子のほうも休憩室でほかに人がいないときに一緒になるとなかなか左の人に対して好戦的なことを言ってきて笑ってたりします。

いやー運営というか社員チームチャレンジャーすぎる(・x・;

いやまあ、左の人の正面なんて彼ぐらいタフな精神力持ってないと無理だと思うけど。

案の定、3日で左の人がキレたらしく(私はその時その場にいませんでしたが)男の子は左の人からはるか離れた席へ移動していきました(笑)。

で、残ったのがマイペース男性Aさん、やや気弱なおじさんBさん、そしてパート主婦CさんDさんの4人。

そう、ここに、「同じシマでお近く同志ですね」というムラが誕生してしまったのです。

左の人の正面はそんなわけで空席になり、ナナメ前にあたるAさんは本当に徹底マイペースな人なので左の人にも基本的に興味を示さないし、たぶん初期の私のように彼に話しかけられてもつまんなそうな生返事ぐらいしか返さなかったんでしょう、左の人には基本的にいないもの扱いされてます。

が。

そのとなり。

Bさんは気弱なやや年配の男性。和を重んじるといえば聞こえはいいですがつまりは典型的ノーと言えない日本人の標本です。左の人がくだらないことを言ってもつまらないことを言ってもわけのわからないことを言っても自分にしかおもしろくないことを言ってげひげひ笑ってても「いやぁ~~、ははは。いやいや、うんうん」って愛想笑いを浮かべてカラ相槌を打ってます。絶対内心ではあー困ったなあどうしてオレこんな席に連れてこられちゃったんだろう誰かなんとかしてくれないかなっていうかオレが迷惑がってるの左の人察してくれないかなって思ってるに一票。

が。

典型的大きなお友達=もれなくコミュ障の左の人にそんな心理の機微がわかるはずもありません。

さらに遠い主婦二人は、さすがに席から声をかけるには遠いし、二人ともそこそこの年齢なので子供もいるしいわゆるめんどくさいダンナをあしらい慣れてもいるようで、ほどほどに時々相手はするけど基本的には構ってやらないで女どうしで仲良くおしゃべりするスタンス。

左の人がBさんにロックオンするのは火を見るより明らかですね。

そしてロックオンしたんです。

しかも、配置としてそうなってしまったという、決してほかの人びとが望んだわけではないが発生してしまったムラに久しぶり(?)に所属させてもらえたもんだから、まあ舞い上がるまいことか。

同じムラに所属してるんだから、いつどんな理由ではなしかけても許される!!!

そんなふうに思ってしまったようなのです。

席が近いといっても、斜めではなく二人斜めむこう。

Bさんのほうは迷惑なもんだからなるべく左の人の存在に気がつかないように目をそらしてます。

そんなBさんに自分の存在に気づいてもらうために左の人はどうするか。

 

ぐわっ

 

と斜め前方へ、もう立ち上がって机に乗り上げるぐらいの勢いであのクソでかいぶよぶよした体を乗り出して、巨大な、本人としてはきっと囁き声のつもりなんだろうとおぼしき声で

 

BさんBさんっっっ!

 

と呼ぶのです(・x・)

1日に何度も何度も何度も何度も。

名前呼ばれたら返事しないわけにいきませんよねかわいそうに。

そしてBさんが「はい」と言うと「今、よろしいでしょうか~~~~?」とにたにた笑いながら下からすくい上げるように顔色を窺うのです。

ほんの数秒から数十秒、会話の相手をするだけです。今まさに電話がつながった瞬間でない限り、そこで「だめです」とはなかなか言えませんよねかわいそうに。

てかそんなことが言えるような人だったらそもそもあいまいな半笑い浮かべて左の人に中途半端な同調してロックオンされたりしませんね。

そしてそうやってBさんから「話しかけてもいい」という消極的肯定を強引に引き出したらもう左の人のものです。「じつはですね(ぐふぐふ)、ワタシ、今日! ・・・・・(タメ)医者にいくんです」とか「○○ってあるじゃないですか(どっから持ち出してきたのか不明な単語。例えとしてはお風呂用スツールとか、そういう唐突なもの)、あれってセクシーだと思いませんか」とか、わけのわからんことを言ってぐふぐふ笑うのです。

そして最後に「お仕事中、失礼いたしましたぁ~~っ」と(たぶん本人はおちゃめなつもり)机に手をついてふかぶかと土下座レベルで頭を下げて、やっと机からおりてどすっ!と自席の椅子にでかいケツを着地させて、ようやく1セット終了です。

Bさんは「はあーそうですかー」とか「ははは」とか「いやぁ~・・・どうですかねえ・・・」とか、肯定も否定もしないであいまいにごまかしてやり過ごそうとします。

まあ、これ以上強力にロックオンされたくないでしょうからとにかくなるべく穏便に流してしまいたいんでしょう。

でも、左の人はそれでいいんです。

自分が何か言った言葉に対して相手からリアクションがあった。

それだけで我が世の春なんです。

左の人期の終わった今こうして振り返るとなんとも哀れを誘う光景ですが、もうね、その時の私にはそれがもう、うざくてうざくてうざくてうざくて!!!!!(>_<)

日々職場で頭に浮かぶよしなしごとをこまこまこまこま書きつけてる測量野帳には毎日のように左の人への罵倒が並んでました。

えっあれっ・・・・(゚Д゚)

そんなある日。

今日も今日とて左の人はBさんBさんっっを繰り返していて、私はがりがりと野帳に左の人への文句を書き続けておりました。

 

とにかくなんで左の人がうざいかって、他人に会話を無理強いするからなんだよな おまえなんかにそんな資格があると思ってんのか相手が迷惑してるだろ うぜえんだよけむたがられてることにも気がつかないで相手してくれるからってつけあがって

(思い出せなくなってるので当日の野帳の記述を忠実に入力)

 

ここまで書いて、

 

あれ

 

って思いました。

 

これ、私母親に同じこと言われたことないか?(・x・)

 

思い出そうとするまでもなく出てきました。

あります。

 

私は、いわゆる帰国子女なんですが。

 

小学校をほぼまるっと、外国で過ごしてます。

 

で、父親は現地の支社でわりと上のほうのポストについていて、家にはよく会社の人たち、つまり部下が遊びにきてました。お酒飲んだり麻雀したりして、まあたまり場になってたってことなんですかね。主に雀卓囲んでたんじゃないかと思います。

 

父の部下には家族持ちの人も何組かいましたが、残念ながら子供がいても私よりだいぶ年下(って私も7つ8つ9つとかでしたけども)。話が合わないっていうか、こまっしゃくれたませガキだった私には幼稚でうざい存在でした。

同世代と遊ぶならともかく、赤ん坊だの子供だのの面倒を見るとかしたくなかったんです。面倒みたいんじゃなくてかまってほしかったんですよね(・x・)

一方、会社の人たちは当然のことですがみんな成人です。中には、たぶん麻雀卓からあぶれた時だったんじゃないかと思いますが、時々私と遊んでくれるお兄さんもいました。

そもそも、日本語が通じる相手が周囲には基本的にいませんから、日本語で話せるだけで嬉しいところに、かまってくれるんですから子供は大興奮です。

お兄さんにかまってほしくて、お兄さんが麻雀打ってるところをうろうろしてたものです。

そんなある日。

母親にいきなり叱られたんです。

要約というか、もう40年以上も前のことですから正確な言葉なんか覚えちゃいません。

なので、あくまでも私なりの翻訳というか、私がこう言われた、と受け取った内容ですが。

なんて言われたかというと、

 

あんたはお兄さんに好かれてるとか思い上がったとんでもない誤解をしてるみたいだけど、お兄さんがあんたと遊んでくれるのはあんたが上司の子供だからであって、あんたが好きだからでもなんでもない。しかも、上司の娘だからあんたをそうそうじゃけんに扱うわけにもいかない。お兄さんに迷惑をかけてるんだぞそんなこともわからないのか

 

でした。

 

(・x・)

 

まさに、ここしばらく、私が左の人に対して(心の中でというか野帳に向かって)言い続けてた言葉ですよ。

 

おまえなんかに、おまえごときに、○○さんに自分をかまってほしいという資格があると思っているのか。おまえの分際で分をわきまえろ

 

そしてこれと一緒に、ずるっと別の記憶も出てきました。

 

やはり外国に住んでたころのことです。

そんなに多くないとはいえその地域には日本人コミュニティがあって、我が家?というか、母親だったのかな、は、私をその中に連れていってました。日本人の子供を対象にした絵画教室があって、そこで習うとそこにきてる生徒の親によって形成されてるコミュニティに入ることができたんですね。

まあ、いろんな子がいます。

そのうちのとある子のことを、ある時母親が父親とだったか別の友だちとだったか話してた時に話題にしてました。その子のことを「あの子は気が強い」と言ってたんですね。

そして、「気が強い」という言葉を知らなかった私は、(ついでにいうと「親は正しい」「親はえらい」「親は絶対に間違ったことをしない」と刷り込まれていた私は、母親が他人の悪口を言うようなことがあるとも思っていなかったので)「気が強い」というのは褒め言葉なんだと思ったんです。

次のお教室の時、その子のお母さんに私は満面のドヤ顔で「こないだ、うちのママが○○ちゃんのこと気が強いって言ってたよ!(・∀・)」って報告しましたよ(・x・)

いいことした(>ω<)!って得意になってたらまあ、おっっっっそろしい剣幕で怒られましたわ。

その時私の印象に鮮烈に残ったのは、

 

子供が大人の話に口をつっこむな

 

という部分でした。

 

子供の分際で、子供のくせに、理解もできてないくせに思い上がってよくも恥をかかせてくれたな、と。

そう言われたんです。私ビジョンではね。

 

どちらのできごとも、自分が出すぎたことをしたのが悪いのだと私は理解しました。

強烈に恥ずかしさを感じました。

そして、ものすごく惨めな気分になりました。

 

ここまで思い出して、あれ(・x・)と気がつきました。

 

私はとにかく自己否定が強くて、なかなか自愛とか自分を許すとか受け入れるとかができなくているんですが、

 

これが、私が私を徹底的に見下して無価値なゴミだろおまえなんか、おまえのどこにひとかけらだって何らかの価値があると思ってるわけ思い上がるんじゃねえよこのクズ、って思ってることの、直接の原因の1つじゃね?(・x・;

 

えっ私こんっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっなくだらない小さなことで、こんなにも徹底的に自分を否定していじめて踏みつけてけちょんけちょんにひどいこと言い続けてきたの?

 

(゚Д゚)アラヤダ

 

それ、私めっちゃかわいそうじゃね?

もんのすっっっっっっっっっっっっごい言いがかりじゃね?

 

私、私に対してちょっとひどくね????????

 

ひどいよね?だったらもうそんな扱い、やめるべきじゃね?(・x・)

 

その後も、ぽろぽろといくつか出てきました。

私は小学校を1学年スキップしてるんですが、日本人ごときのくせに頭がいいと認められてそれをかさにきてスキップするとかふざけんじゃねーよ思い上がるな、みたいなことをクラスメートに言われたことあるなあ、とか。

結局、私幼稚園の最後から小学校ほぼ全部の6年間を日本の外で過ごすことを強要されたことで、ほんっっっっっっっとにいろいろ、虐待されてたんだなあ、って。

そもそも人格形成にかなり重要であろう小児のころを右も左もわからない外国で過ごさされたところから、周囲にほかに、たとえば祖父母とかおさななじみの家とか駄菓子屋のおばあちゃんとかみたいな味方の誰一人いないところに連れていって「親は正しい」「親は絶対」「親は間違えない」と刷り込んだり、日本に戻ってきたらきたで私が帰国子女で「かわいそう」だから帰国子女プログラムのある学校(片道45分)へ入れたり、「あなたはできるんだから」「そのままにしてしまうのはもったいない」と中学生に英検1級をとることを強要したり。

いやもう、なんとうちの両親の、私にとってよかれと思ってとったであろう施策のことごとくが全部裏目ってることか(・x・)

虐待されてたんだなあ、私。

ひどいめにあったもんだ(・x・)

 

 

 

 

と思った時。

 

あ、左の人ってこれを私から引き出すためにあらわれたんだな

 

とわかりました。

野帳を持ち込むようになったのは8月の終わりごろなので2か月にわたって、毎日毎日左の人の言動、10月に入ってからは舞い上がった勘違いにイライラして、野帳の3ミリ方眼にみっしりこまこま、浮かんでくる感情や思考をずっと書きつけ続けてきました。

それって、つまりある種のブレインダンプなんですよね。

視界に入れるだけで嫌悪感をいだく対象=自分への文句を、ひたすら棚卸しし続けてきたということなんです(だったんだとわかった、というのが正しいですが)。

ブレインダンプを進めていくとそのうちアタマに詰まってた言葉や感情がからっぽになって、その下や底や奥から、まるっきり思ってもみなかったような感情や思考がぽんと飛び出てきてびっくりすることがありますが、この時がまさにそれだったんだと思います。

ああ私ってほんとオタク=自分のことが嫌いなんだなあ、じゃなかったw

 

私は私を徹底的に見下して、蔑み果てて、本当に何一つの価値もないクズゴミだと思ってた。

 

そんなモノがこの世に存在を許されているということがそもそも間違いだから、自分=オタクに対して強烈な嫌悪感を持っていたんです。

 

その理由(のうちいくつか)は、本当に小さくてささいでたぶん私以外誰も覚えてないような、ほんのちょっとした失敗でしかなかった。

それを、当時、親に洗脳されて何がなんでも親を正しく絶対の存在にしておかないといけないと思っていた私は、そんなふうに自分を徹底的に否定しておとしめることで、なんとか親という絶対存在の価値を揺るがせないように補強したんでしょうね、きっと。

 

 

親の洗脳は、外国という、周囲に親以外の庇護者が存在しない異常な環境に持っていかれて、親に見捨てられる=誰にも助けてもらえない=死ぬ という恐怖から私が自分を守るために必築き上げたものです。

逆らったら殺されるから絶対服従する。

絶対服従だから相手の言うことが絶対で正しい。それに対して異を唱えるなんてありえない。

もちろん、親もことあるごとに「自分たちが正しい」「自分たちに従っていればいい」的なことを言ってたはずですが、それをそういうふうに極端に受け取ったのは、私の「逆らったら殺される」という恐怖が原因です。

もう、ここ日本です。

私は50を越えました。

親が当時30代で、今の私よりずっとずっとガキで、しかも時代的にも40年も前のことですから世間の常識や考え方も3世代4世代前のことです。たぶん今の30代とは比べ物にならないほど幼稚な思考しか持てていなかったことでしょう。

彼らは別に私を虐待しようと思ってしたわけじゃない。

たんに彼らのやったことが、私ビジョンでは虐待だっただけです。

これは不幸なミスマッチなんです。

彼らの愛情表現を、私が愛情として受け取ることができなかった、という。

この、親が当時は未成熟極まりないコドモであったこと以下は、前々からわかってたし自分でも言ってたことではあるんですが、この時やっと本当に納得しました。

誰が悪いわけじゃない。

よくもあんなことをしてくれたな、とか、今この時点で彼らに言ったところであの時私の感じた苦痛や屈辱や恐怖はなくならない。

 

だってそれは、

私が作っていたものだから。

 

ただの現象を受け取ってそれに意味を与えるのは自分だというのは、こういうことだったんだなあ。

 

と、納得がいきました。

 

これは、私が作ったもの。

 

だったらもう、いいよね。

私には、もうそんな恐怖はいらない。

だったら私は私をそんなふうにけちょんけちょんにけなして蔑んでおとしめて辱める必要はない。

 

それに気づかせるために、左の人は私の前にあらわれたんだ。

 

そっか(・∀・) ありがとう(・∀・)

さらば左の人

という結論にいたって、その時私が思ったのは、

たぶんこれでもう左の人が今ほど一挙手一投足がたまらなくうざくて、タヒねよとか(心の中ではもっとストレートに)思うようなことはなくなっていくだろうな、ということでした。

ちなみに、このできごとがあったのは10月30日でした。

私は11月12月もいちおうこの職場で働くことをこのときはもう決めていましたが、

じつは翌週からセンター内での体制が変わることになっていて、

バック業務が私ひとりになる

=今同業務の人が使ってるPCを使わせてもらえる

=シマは同じものの、現在の私の席よりさらに2つ右

=左の人とはシマの両端という最大の遠さになる

ことになるだろうという予測がたっていました。

かつ、

11月になってまた席替えが予定されていて、Bさんは別のシマへお引っ越しをするのが決定してました。

ちょうど、おそらく私にとってもう左の人はほぼ不要になったなというタイミングで左の人が遠くへいき(まあ私が移動するんですが)、Bさんが左の人から解放されて最近の私を最もイライラさせていた「BさんBさんっ」が封じられる。

なんとも象徴的ではありませんか。

一つだけ気がかりだったのは、BさんのかわりにBさんのいた席にくることになってたEさんもたまにオフィスに出入りする際に左のひとにつかまってるようだったことですが、これは席替え後、杞憂だったことが判明しました。

Eさんは左の人よりすぐ隣のAさんと仲がよくて、どちらかが電話がつながってトークしてる時(そういうときは当然ながら左の人もほぼ話しかけない)を除いてほぼ1日じゅう、まるで女子高生の親友ちゃんどうしのように(両方男性)休みなくAさんとおしゃべりをしてるのです(笑)。

席替えまえにも、左の人の近くにいかされることをかなりいやがってましたし、Aさんももともと左の人とは相互不可侵のような感じで積極的に相手はしないよという様子でバリア張ってますから、2つ斜め向かいなんていう遠隔地から左の人が割り込める余地はほぼ皆無ですw

空気の読めてないうっとおしい雑談はほぼ皆無になりました。

でも、それのありなしを別にしても。

毎度聞こえてくるたびにえげつなくてうざくてイライラしてた左の人のトークが、それほど気になりません。

もちろん、うるせえなあとは思わないわけじゃありませんが(笑)、前日までは3分に1回ぐらいはうるせえうぜえタヒねよと内心毒づいてたのが、ほとんど思わなくなりました。

穏やかな心持ちでいるってこんなに平和なのね(´∀`*)

翌週になって予定どおりシマ端の席を確保できて(「なんでクニミさんが引っ越しする必要があるんですかっていうか前の席のなにが不都合なんですか」とか鈍感力を爆発させた上席は適当に丸め込みました。そんなの左の人に近いからに決まってますって)左の人は私にとってさらにどうでもいい存在になりました。

100%ではありませんが、ほんの一週間前、あの気付きにたどりつく前と比べると目の前にゴジラが立ってるか立ってないかぐらいの差があります。

ありがとう左の人。

そしてさようなら(´∀`*)

さらに、就業して3か月経過してようやく、自分のこの職場での収入が自分の希望を満たしていないことがはっきりしました。

ワーキングプア確定(・x・)
10月が終わりました。
確実にワーキングプアへの道を邁進していることがはっきりしました。

初月はお給料出てませんでしたからともかくとして、なんだってここまでくるまでこんな大事なことが把握できてなかったのか。

これもまた、たぶん、この職場が私にとってもう必要な場所ではなくなったからこそはっきりとわかったことなんだろうと思います。

 

なんて完璧(>ω<)

 

とか思ってたら、いきなり。

 

やけに忙しい

受電でめんどくさい案件にひっかかる

左の人から受電関係で頼まれごとをする

外部の営業さんから左の人に電話がかかってきて取次をさせられる

その電話のおかげで左の人が(オレ営業からじかに問い合わせを受ける有能テレマ!って)鼻の穴前回でふんぞりかえる

ひさびさに地雷電話とっちゃって超高速マシンガントークの罵倒を浴びせられる

 

という高難易度クエストがてんこもりで実装されました(・x・;

 

えっなにこれ(・x・;

 

ぱちくりしてたら、理解しました。

 

とりあえず受電の件は、担当営業の上司と話をしたことで完全ではないものの一定のレベルでは解決。

左の人問題がここで解決。

 

つまり、積極的にここをやめようという理由が、金銭面と、担当営業が無能にすぎるということだけになってしまってですね。

 

立地と勤務時間は理想的だからなー(・x・)

もっと遅いと言われてた契約の継続意思確認がもうきて、どうしようかなー時給の相談と担当変更が可能かいっぺん問い合わせしてみるかなー(・x・)

 

なんて思ってたんです。

でもそれでほんとに時給があがって担当も変わったらどうする?と思ってまだ検討中だったんですが。

 

日和るな、ってことですね、はい(>_<)

少なくとも、こっちからは交渉はしません、はい(>_<)

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