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【感想】舞台「どろろ」千秋楽ライビュ ※バレあり

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======= もくじ =======

鈴木拡樹すごい。

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どろろがアニメになる

・・・と知ったのは半年ぐらい前?だったか。

ティザーが公開された時にどっかでニュースになってたのを見ました。

へー鈴木拡樹が百鬼丸かーまあ舞台もコミコミの企画なんだろうな、ぐらいに思っただけでした。

そもそも、どろろに対して持ってた情報は、原作が手塚治虫、百鬼丸が妖怪を倒すと体を取り戻していく話、ということと、

 

差別用語のオンパレードでかつてのアニメ版は絶対に再放送ができない

 

というもの(・x・)

とりあえず、尋常にアニメ化するとやばい漫画。

というのがイメージだったので、そのへんをどう処理するのかなあ今回のアニメは、ぐらいのことをぼんやり考えただけでした。

放送がはじまっても、ちょうどステフェスのDVDが出たりFGOの舞台いったりスタステいったりしてたし、大片付けもはじめたので録画したアニメとか見てるヒマはなく。

見てる友人が何話だかで「はじめて鈴木拡樹が喋ったけど叫び声だけなのにやっぱりすごいうまいわ」って言った時も、ふーん、と思ったくらいでした。

舞台も上演することも、CMでもたしかどこかで見たし、ローチケだかぴあだかの発売情報メールがばんばんきますんで知ってましたが、スルーしてました。

が。

やっぱり声優としての鈴木拡樹って気にはなります。

出てきたって話だったし、何の時だったか、作業があって手は動かさないとだけど目と耳はひま、というタイミングがあったので、よし、と思ってどろろを見ることにしました。

その時放送済みだったのは6話まで。

一気に見ました。

てかシリーズ構成脚本が靖子にゃんだったことすっかり覚えてなかった。

名作の原作を靖子が手がけて、間違いのあるはずがありませんやね。

しかも5・6話が神回。歌うまいなこのねえちゃんと思ったら奈々様かよ!!

登場シーンのアレってやっぱりそういうことかよ!!!(>_<)

お約束だけどこの展開だよ!!!!!!。・゚・(⊃д⊂ 三 ⊃д⊂)・゚・。

6話まで見終わって、

即座に舞台の公式を検索して、

まあ、間違いなく本会場はソールドアウトでしょうからライビュをさがしたら。

なんと、プレの申し込みが明日まで。

あ、呼ばれたわ、これ。

もちろん即、申し込みしました。

ライビュなので基本とれないってことはないだろうとは思ったんですが、スタステはライビュ片方落選しましたからね(;・∀・) ライビュでも落選はある場合もあるんですが。

でも、今、ライビュ申し込み最終日寸前にこの話まで見るって、舞台観ろってこと以外ありえませんから。

千秋楽ライビュ鑑賞

という確信のとおり、無事チケがとれたので、ライビュですが観劇してきました。

15分前に劇場いったら、最近、刀剣の映画とかFGOのライビュとか東宝系が多かったせいで今回東映系だったこと忘れて東宝の劇場にきてて(なんか違和感あったので券面確認して発覚。もぎろうとする前でよかった(笑))、慌てて駅の反対側のシアターに移動したといううっかりはありましたがw無事上演開始には間に合いました。

2幕構成、1幕1時間だったから全部で2時間ちょいかなと思ったら後半がボリュームすごくて合計3時間の舞台でした。

以下、一切ネタバレ配慮なしです。

上演も終わってますが、なんらかの形で自分で観るまではバレは見たくないというかたはここでブラウザバック!

 

シナリオ・構成

シナリオは、正直、ちょっと微妙。わかりづらいです。

だって、アニメの1話というか漫画の最初?からやるんですもん。

景光の請願にはじまって、百鬼丸の誕生から遺棄、寿海に拾われて、どろろが盗品を売ろうとして袋叩きに遭って、そこに現れた妖怪を百鬼丸が倒して、という冒頭の流れが完全にそのまま。

でも舞台なのでアニメほどしっかりは描けません。抽象化されてる上につまんであるから、かなりわかりづらい。

アニメ見てればわかりますし、いちおういちばん重要そうなキーワードはほぼ入れてあったので、原作知らない、アニメ見てない、って層でもなんとな~~~くはわかるとは思うんですが、景光の額の傷が最初なかったのに中盤で出てきたら知らないうちについてたり、観音像の頭がなくなった話というかそもそも頭のない観音像が出てきたの後半にいきなりだったり、ちょっと首をかしげるようなところはありました。

でも、そもそも舞台で伝えるのは難しい設定だし、そこにばっかり上演時間を割くわけにもいかないですから、仕方ないかなあ、とは思います。

とはいえ、その後も、つまんでつまんで早回しジャーンプ! みたいな展開。とにかく百鬼丸と多宝丸を出会わせて、二人に百鬼丸の出自を知らせないと話が進まないもんだから飛ばす飛ばす。せわしなくてよくわかりません(・・;

ニヒルにとりつかれた浪人の話がまあまあわかりやすかったかなあ、でも耳を取り戻して最初に聞いたのが「なぜ殺したの!」の絶叫だった、という展開がうはーこれはきつい(>ω<)って思ったらそのあとにちっとも活かされてなくてちょっと残念。

そのメインの、百鬼丸と多宝丸の出会いから百鬼丸の出生の秘密がわかるまでの展開も、もちろん事情の原因を作った当人のいる多宝丸サイドはともかく、百鬼丸側は半分以上推測で事実を決めつけちゃったような(いまいち理解できなかったので正しくないかもしれない)。確かにあとで景光にそういうことだって言われた場面はあったけど、その前に琵琶丸あたりに「~~なんじゃないか」って言われて、その推測が「そういうことだ」って彼らの中で確定になっちゃった流れだった気がします。

そういう、「こうじゃないか」って推測が、たしかに事実を言い当ててはいるんだけど、それが事実であると事実を知っている人物に肯定される前に全員がそれが事実だと決めてしまうのって謎解きをするときにはやっちゃいがちなことではあるんですが。それは作者の都合を押しつけてるだけなのでそういう解決への持っていきかたは私はちょっと評価が下がります。

名探偵が皆を集めてさてと言っても、それで犯人が「よくぞ見破った」的なことを言って自分が犯人だと認めないと話が進まないじゃないですか。

なので、ちょっとそこはもうすこし自然に情報を開示してほしかったなとは思います。

ほかにも、三郎太にさらわれたはずのどろろを多宝丸が勝手に(?)持って行っちゃうとか、ちょっと不自然あるいは強引、もしくは説明不足な部分がちょろちょろあって、うんまあ、1本の舞台にまとめるんだから仕方ないよね、うーん、やっぱりスケールでかいからなあ、たいへんだよなあ、と見てました。だから出来が悪いと言う気はないけどだからといってよくできた脚本だとも言いにくいという。制約のいろいろありそうな中でよくここまで作った、とは思います。

とはいえ、縫の方の「許してほしい」が「おまえをこんな体にしたこと」ではなく「それを自分が領主の妻として受容したこと」だったり、自分が善良でありたいというつまらない見栄を満たすために国を犠牲にしてでも百鬼丸を救いたいならそうすればいい、と言われた(言う影光の覚悟も凄まじいけど)多宝丸が、結局は兄と敵対することを選ぶところとか、とくにアニメ前半見た限りではたんに自分の欲望のために鬼神と契約したように見えてた影光がじつはもっと凄惨な覚悟を持ってたこととか。いろいろ突きつけられる脚本でした。

欲とは何か、何を誰を救うのか、ただ憐れめばそれでいいのか。

たんなる善悪二元論では語れない、それが人というものだよなということを突きつけておいて、あの多宝丸の自裁シーンですよ(>_<)

せりふの途中でもちろん、彼が何をしようとしてるかはわかっちゃったけど!

でも、そのわかった瞬間に多宝丸の兄への想いもわかるわけで。

わかった上で、多宝丸が自分の、しかも眼に刀を突き立てる場面を見届けなくちゃいけない苦しさ。

ええ泣きましたとも。号泣しましたよ。

よく演じた有澤樟太郎!

しかし、惜しむらくは、あまりにも訴求力のあるシーンだったがために、まだほんとのクライマックスじゃないのにそこがクライマックスになっちゃいましたね。

これは、自分で書くときもよくあることなんですが。

物語としてのクライマックスシーンと、実際の作品全体のバランスの中でのクライマックスシーンに、ズレが生じてしまうんです。

本来、この舞台であれば、最大のクライマックスは百鬼丸が影光を殺して鬼になるか殺さずして人に戻るかを選択するシーンなんですが。

多宝丸の自裁があまりにも凄絶だったがゆえに、そのあとの縫の方にようやく抱きしめてもらえるシーンも百鬼丸がどろろと別れる場面も百鬼丸と影光の対決も、全部かすんじゃう。エピローグの、どろろがしつこく百鬼丸を待ってるシーンなんかはもう、言うに及ばずです。

ストーリーテリングの理想をいうならば、あの多宝丸の自裁シーンをしのぐもうひと山を、百鬼丸が景光と対峙するシーンに盛り込んでこそなんですが。

なかなか常にそれができるとは限らないんです。

もちろん、そのために手前の山を低く削るとか愚の骨頂です。だからあれは正しい。

ただ、その先の場面がさらに高い山にはなれなかった、というだけで。

百鬼丸が景光を殺さないことを選んだシーンだって、すごいシーンでした。十分にクライマックスでした。

だからこそ、そこを100%味わい尽くせなかったのが少しだけ残念です。

演出

かなり抽象的で、とくに女性アンサンブルが、コンテンポラリーってほどじゃないんだけどやや前衛的なダンスを随所で踊ってて、個人的には、ああでなくてもよかったんじゃないのかなあ、とは思います。

でもアンサンブルまで含めたキャストが、実際に観劇中に思ってたよりぜんぜん少なくて、すごくよく隙間を補ってたんだなあ、と思いました。

ただ、抽象的な表現になるのは、舞台の広さに限りがあって舞台装置にも限りがあって、少しのもので多くのことを表現しなくちゃいけない以上はある程度はしょうがないだろうなと思います。

なので、全体的に不満はなかったですが、おどろおどろしかったり衝撃的な場面の演出に必要なのはわかりますが向こうからまっすぐこっち向いてるライトの明滅の激しい場面が、私なんとか性の癲癇はないけど、これ事前にけっこうマジで注意書き必要なレベルじゃね、と思うくらい多くてちょっとびっくりでした(笑)。

 

あと、歌わなくてよかった(・x・)

 

いやミュージカルっていうふれこみならいいんですけどw、なんか、刀ステもそうだしFGOもそうだったしデルフィニアもそうだったし、なんか2.5系は歌わないと逮捕でもされるの?ってくらい、ミュじゃないのにみんな突如歌い出すイメージがあってですね(・x・)

こんなシリアスな展開とキャラで、いきなりエンディング全員で歌って踊ったらどうしようってちょっとだけね、思ってましたはい(・x・)

歌わなくてよかった(・x・)

 

かわり(?)に、アニメのオープニング曲がなんかあらゆる場面で鳴ってました。

別にいいんですが、なんといっても印象的な曲なので、もうちょっと使いどころ絞ってここぞという時にだけ使ったほうがよかったんじゃないのかなーと思わないでもない感じ。

役者

主演鈴木拡樹。弟に有澤樟太郎。ほかに、唐橋さんが出てる。

このへんが、私の観劇前のキャストに関する把握でした。

数日前ぐらいに、どうやら舞台ハイキューで影山をやってた子が出てるらしいなあ、と公式を見て思ったんですが、そのことは観劇後に公式をもう一度見るまで忘れてました(・x・)ニヒルにとりつかれた男が影山をやった影山くんでしたね。

どろろをやってた子は、まあ、可もなく不可もなく、というか、うんまあ、ちょっと役者が足りなかったかも。もと?現役?アイドルのようですが、とにかくずっと怒鳴っててうるさかった、というのが正直な感想。「元気」と「怒鳴る」はちがうんだけど、やや小声のせりふとかはほぼ聞き取れなかったのでああするしかなかったんですかね。

てかあとで調べてみたら幕末純情伝の主役?だった子でした。小松くんが土方だというので観に行ったんですけど、あの時もひたすら怒鳴り続けてたからたんにそういう芸風っていうか、それが演技だと思ってるのかなあ? いやあれだけのキャストの中にいて何も感じないはずがないし、それしかできない、のほうが正しいかしら。

どろろって、本来はまんが全体の主人公のはずですが、すくなくともここまでの部分では狂言回しでしかなくて、全体のテーマであるらしい「母を慕う」の体現なのは間違いないんだけど、とくに舞台では百鬼丸がどろろをそこまで大事にして執着するにいたるほどの心の交流が描かれなかったのでなおさら「いるだけ」のキャラになってたかなあと思います。最後まで「少年」扱いだったしね。

といっても、どろろが女の子なのはアニメでもすごいついでのようにさらっと出てきてたので、原作を知らない身としてはどこまで重要なファクターなのかいまいちわからないし、すくなくともここまでそれこそどろろが男か女かが重要だった場面はないので省いていい情報なのかもしれません。

ちょっと気になったのがライビュのカメラ。

やたらとアップ多用で、舞台全体の状況がわかりづらいなあって思ったところがけっこうあったんですが。それこそ百鬼丸は表情とせりふ回しで魅せる役じゃなくて、むしろカテコで背中を見せてただ立ってるだけで存在感がすごかったみたいに、舞台の上にあの生身の体があることで百鬼丸がそこにいる、という状態が現出するものだったと思うので、むしろ内容的にはアップは控えてロングでとってほしかったなあ。

でもそれも、もしかしたら彼女のアップをたくさん撮るためとかだったのかなあ、と思ってみたり。

どうも、デルフィニアといい幕末純情伝といい、アイドル的なものが舞台興行にからむとなにか微妙な後味が残ります。

私は、今まで観てきた舞台芸術ってバレエとクラがメインで、こういう言い方はアレですが素人が入り込む余地のない世界だったので(・・ 踊れないとか演奏できない、いわば無関係の夾雑物は板の上に出てこないので。あ、くまモンがオケでシンバル叩いた話はあったけど(笑)。

なので、そういうものが実力と関係ないところで不釣り合いにクローズアップされるのにひっかかるだけかもしれません。

 

有澤くんの演技が、クライマックスシーンですごかったのは前述のとおり。

ほんとは、前半でこそもっと、子供のころから母に愛されてないと感じて育ってきた彼が抱えてるもやもやをはっきり見せられる流れだと後半がいっそうよかったと思うんですが。全部丁寧に描くのは尺(ry

にもかかわらず最後のあのエネルギーの高さが出せたのは彼の力だと思います。

どうやら当日「有澤くん」でツイッタ検索すると「よかった」と「でかい」ばっかりだったそうですが(笑)。

うん・・・それは私も思った・・・おっっっきいね彼!!!

女の子は当然ながら、鈴木拡樹だって三日月やってるときはすごくしゅっとして背が高く見えるのに、その鈴木拡樹よりぜんぜん大柄でした。けっこうごてっとした衣装で、百鬼丸がほとんどボロ布1枚ぐらいなのの差もあったのかも。

 

唐橋さんもすごい迫力と覚悟でした。悪、それも我のある悪をやらせるとやっぱりこの人すごい。

といっても唐橋さんが景光だというのはあとから理解したんですがw

役者が誰だ、という偏見なしですごいと思えたんですからいっそうすごいんだと思います。

 

そして唐橋さん以上に、出演してることをすっかり覚えてなくて、観てるうちにあれっと思ったのが、健人くん。

後半で突然出てきて、とくに前振りもなかったし、同じぐらいの立ち位置の助六や、前半で斃されていったニヒルの仁木田之助みたいに、いわばエピごとのゲストキャラぐらいの位置付けだろうなと思ってたんですが。

なんだかやけに目を引くキャラだなあ、とは思ってましたが、アップ多用のライビュのわりに、そんなに顔もしょっちゅうはうつらなかったし。これは助六や仁木田之助も同じで、つまり、名前はあるけどやっぱり中核になるキャラの一人じゃない、という扱い。

でも、それだけにロングが多かったおかげもあるのか関係ないのか、百鬼丸にかなわないことを悟って鵺(だということは帰宅後に公式の設定を見て知った)に自らを与えるところで、あれ、と思いました。

もしかしてこの子、鶴じゃね?(・・?

なんか、義伝の、鶴の○○の場面にすごくダブったんです。(いちおう別作品なのでバレ回避で伏せ字

言ってはナンですが私は人間の顔覚えはとっっっっても悪いです。

いちおうは推してるきたむーでさえ、あんなに何十回とDVD観続けてようやく最近になって素顔でも別の役でもきたむーだってわかることがあるようになってきたレベルです。ちなみにおそ松の舞台写真見てもどれ松か知りませんが松の一人がきたむーだとはアップで見てもいまいちわかりません(・x・)

あれだけJOKのDVD観てますけどジョ伝のばみが司と同じ人間が演じてるとは視覚情報からは認識できません。

鈴木拡樹だって、かなり素顔に近いメイクでないとわかりません。

百鬼丸ですごくぎりぎりっていうか、鈴木拡樹だと思って見ないと鈴木拡樹に見えません。

有澤くんはそもそも兼さんしか知らないので素顔もわかんないし多宝丸と兼さんが同じ人間の顔には見えてません。声は、叫ぶとああ兼さんやってた子だなとは思いますが。

その程度。

健人を観たのも、虚伝再演2回義伝2回に悲伝2回かな。あ、あと悲伝のドキュメンタリーも見た。

でも、それしか観てないんです。

その程度で私が覚えてるはずがない。

その私が。

あんまりアップにならないライビュを観ながら、

この子健人じゃね?って思った。

いや、すごいです健人。

鈴木拡樹

そして、鈴木拡樹。

すごい。

とにかくすごかった。

と、思ったのは、カーテンコールでした。

本編中でももちろん彼の演技力とか殺陣とかってさすがだったんだけど。目をあけてて、でも見えてないのにふつうに歩く「演技」をするってもうそれだけですげえと思うし。耳聞こえるようになってからどろろが何か言うのにこっくんって頷く仕草とかマジ天使だったし。

ただ、やっぱり、あちこちストーリーを最低限のとこだけつまんで飛ばし飛ばし話を進めてるから、どうしても動機づけが薄くなっちゃう。あそこまで百鬼丸を駆り立てる瞋恚に、もう一歩同調なり共感しきれない。惜しい。

でもね。

カテコ。

これがほんっっっっっっっっっっっっっっっとに!!!!!

すごかったんです。

みんな出てきて、おじぎして。

アンサンブルと助演は左右にはけていって。

多宝丸とどろろと百鬼丸だけ、舞台中央にちょっとだけある壇から下手(しもて)へはけてくんですが。

まず、多宝丸とどろろがおじぎしてはけていくまで、その壇の手前で、百鬼丸は客席に背中を向けて立ってるんですけども。

この立ち姿の、存在感がすごかった。

顔見えないのに、何か動きを演じてるわけじゃないのに、もう背中だけで百鬼丸。

これが演技力があるということなんだというのをまざまざと見せつける背中。

 

でもね。

これだけじゃなかった。

 

カテコ2回めで気がついたんですが。

その、二人がはけたあと、百鬼丸が静かに背中を向けたまま壇にのぼって、あらためて客席に向き直っておじぎして、そこから下手、客席から向かって左へ、多宝丸どろろと同じようにはけていく。

んですけども。

その壇ってそんなに長いものじゃなくて、3歩ぐらい歩くともう終わるんですけどね。

そこから、

 

たっ

 

ってかるく飛び降りてかるく走ってはけていくんです。

 

この

 

横向きに走っていく姿が。

 

手塚治虫の絵でした。

 

何を言ってるのかわからねーだろうが(ry

私どろろは読んでませんが、手塚漫画はそれなりに読んでます。

手塚・石森の、あの時代の漫画は、漫画です。劇画でも、最近の「まんが」でもありません。

どの漫画にもヒゲオヤジはいるし、悪魔的な悪人はだいたいロックだし、ステレオタイプの悪役はみんなランプ。どんなにシリアスなシーンでもランプの後頭部にはろうそくが立ってるしいきなり頭が爆発してヒョウタンツギになったりします。ブラックジャックだってヒョウタンツギになって頭から湯気を噴くんです。

それが漫画。

こういう場面ではこういうポーズ、こういう絵。キャラが大人でも子供でもうさぎでも動作のポーズは基本的に一緒。

絵柄ははっきりとデフォルメされていて、頭は大きくて手足は丸い。

とくに手塚漫画は石森漫画よりさらに等身が低い。

こういう絵柄ですし頭身です。

 

その、手塚漫画の。

横顔というか、横向きに人物が走る絵。

手塚漫画を読んできてる層にはきっと伝わると思うんだけど(>_<)

型にはまった、見慣れたあの絵と。

低めの階段2つぐらいの壇から、たっ、と飛び降りて走っていく鈴木拡樹。

どうしてこれがイコールになり得るのか。

身長公称173センチの、ちょっと化粧と服変えると三日月宗近になる男ですよ?

ライビュのもぎりのとこでくばってくれたメインビジュアルのクリアファイル見ても、明らかにふつうに成人男子の頭身よ?

なのに、50年前の漫画の絵になれる男。

 

まじ鈴木拡樹半端ねえ。

そう思った舞台でした。

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